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東京高等裁判所 平成3年(行ケ)310号 判決 1993年6月03日

主文

特許庁が昭和六三年審判第八九七六号事件について平成三年一〇月二三日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

理由

一  請求原因一(特許庁における手続の経緯)、同二(本願発明の特許請求の範囲)、同三(補正却下決定の理由の要点)及び同四(審決の理由の要点)の各事実は、当事者間に争いがない。

二  甲第三号証と前記当事者間に争いがない事実によれば、原明細書には、本願発明の技術的課題(目的)、構成、作用及び効果について、次のとおり記載されていることが認められる。

1  本願発明は、構造部材又は機械における相対回転部材相互の締付け又は固定のための装置に関するもので、特に歯車、プーリー等の回転体を軸に固定するための所謂回転体固定具に関する(本願公報二欄四行ないし八行)。

この種回転体固定具としては、既に昭和五九年実用新案出願公告第八〇一三号公報に開示されたものがある。このものは、第7図に示されたように、小径段部12の外径が軸Aに固定される歯車、プーリー等の回転体Bのボス4の内径に対して所定のはめあい公差に設定されているため、ボス4と軸Aとの間に固定具を挿入してつば11と外輪2との間に介装した複数の締付けボルト3、3を締め付けると、外輪2と内輪1とのテーパー嵌合効果により内輪1が軸Aに、外輪2がボス4に、また、内輪1、小径段部12相互が、それぞれ圧接されて回転体Bが軸Aに固定される。このとき、回転体Bは軸Aに対して公差に見合つた精度でセンタリングされ、締付けボルト3、3の締付けトルクのばらつきによる大きな偏心が防止できる。このことは、昭和五四年特許出願公開第一一八九七一号公報に開示のものについてもいえる。ところが、上記従来のものでは、前記はめあい公差以上のセンタリング効果はなく、はめあい公差の範囲で偏心する。これは、予め十分な剛性に設定されたつば11を具備するものの場合、小径段部12とボス4との間隙がそのまま最終固定状態の間隙として残るからである。(同二欄一一行ないし三欄一九行)。

本願発明は、このような回転体固定具において、回転体Bの固定の際のセンタリング効果を一層向上させるために締付けボルトの締付けによつて内輪1のつば11のうちボス4に挿入される部分の外径が拡大せしめられるようにすることを技術的課題(目的)とする(同三欄二一行ないし三〇行)ものである。

2  本願発明は、前記技術的課題を解決するために本願発明の特許請求の範囲記載の構成(本願公報一欄二行ないし一五行)を採用した。

3  本願発明の技術的手段は次のように作用する。

内輪1及び外輪2は、上記1記載の従来のものと同様に、回転体Bのボス4と軸との間に挿入され、両者間に介装した複数の締付けボルト3、3を締め付けると、従来例と同様の作用で回転体Bが軸に固定される。内輪1のつば11の外周近傍に形成した側面13が回転体Bの端面の平面部に対して外側から対接するように回転体固定具が装着されることから、回転体Bの回転面が軸Aに対して正確に直交する。また、締付けボルト3、3が小径段部12の内周側に位置しているから、つば11の断面には、外周側で外向きとなり、内周側で内向きとなる偶力が作用する。つば11と内輪1との接合部からつば11迄の部分の剛性が比較的低く設定されているから、締付けボルト3、3の締付けトルクが所定のトルクに達すると(本願公報三欄四三行ないし四欄二一行)、「つば11の断面は、その内周側がボス4内に僅かに入り込んだ状態に傾斜する。小径段部12の外径とボス4の内径とのすきまは、極小さな値に設定されているから、前記つば11の傾斜によつて、小径段部12の内周側の端縁は、ボス4の内周面に近接し最終的には全域的に対接することとなる。」(同四欄二一行ないし二七行)

すなわち、ボス4と軸Aとの間につば11の断面の一部が締付けボルトの締付け力によつて強制的に押し込められた状態となり、回転体Bの端面が側面13に対接した状態で軸Aに対してつば11に密に嵌合した状態に固定されることになる(同四欄二八行ないし三二行)。

4  本願発明は、回転体Bを軸Aに固定した状態では、ボス4と軸Aとの間につば11の断面の一部が締付けボルトの締付け力によつて強制的に押し込められた状態となり、回転体Bの端面が側面13に対接した状態で軸Aに対してつば11が密に嵌合した状態に固定されることとなるから、回転体固定状態における回転体Bのセンタリング効果が従来のものに比べて一層向上したものとなる(本願公報四欄三六行ないし四三行)という効果を奏するものである。

三  取消事由2について

引用例1及び引用例2に審決認定の記載があること、本願発明の願書添付の第3図が審決認定のとおりのものであり、原明細書の発明の詳細な説明中に審決認定の記載があることは、当事者間に争いがない。

前記一のとおり当事者間に争いがない請求の原因三及び四の事実によれば、補正却下決定は、本件補正が実質上特許請求の範囲を拡張するものであることを理由にこれを却下したものであり、審決は、本願発明が発明として未完成のものであつて、特許法二条一項の規定にいう「発明」とはいえないから、ひいては同法二九条一項柱書に規定する発明に該当しない趣旨でこれを拒絶すべきものとしたことが明らかである。

そして、明細書の記載不備の場合と異なり、発明が未完成の場合には補正によつてその瑕疵を補う余地はないから、まず願書添付の原明細書及び図面の記載に基いて本願発明が未完成発明であるか否かについて判断する。

審決は、本願公報四欄一〇行ないし二七行の記載及び第3図からみる限り、本願発明における「回転固定具のフランジ部の傾斜方向」は「つば11の内周側がボス4内にわずかに入り込んだ状態」を現出するもののみを指すとするのが妥当であるところ、引用例2の記載によれば、本願発明における回転体固定具は、特許請求の範囲に特定される構成要件において本願明細書と全く反対の作用を生じるものであるから、本願明細書記載の作用効果を奏しないものであつて、発明として未完成である、と判断している。

そこで、本願発明の特許請求の範囲の記載について検討すると、審決が言及している「傾斜方向(正しくは傾斜状態)」という文言は、特許請求の範囲中では「つば11と内輪1との接合部からつば11までの剛性を、締付けボルト3、3の締付けによりつば11各断面が僅かに傾斜状態となる程度に、比較的低く設定した」との文節中に見出されることが、明らかである。

したがつて、当業者であれば「傾斜状態」という文言は、つば11と内輪1との接合部からつば11までの剛性の程度を表わす「締付けボルト3、3の締付けによりつば11各断面が僅かに傾斜状態となる程度に」との副詞句の一部に用いられているから、この文言は、つば11と内輪1との接合部からつば11までの剛性の程度を表わすためのものと理解するというべきである。

ところで、前記二の認定事実に照らせば、本願発明はボルトの締付け力によつて、つばを撓めるような偶力を発生させ、つばを傾斜させようとするものであるということができるが、つばの傾斜方向は偶力の発生方向によつて決まることは自明である。そして、つばの剛性の程度を表わす記載は、つばの撓みやすさを表わすにすぎないから、それのみでは力の方向を示す記載とはなりえず、その力の方向は接合部から外縁までの長さに占める締付けボルトの締付け位置、又は内輪及び外輪の接触面のテーパーの大小、各部材のはめあい部の径等各部材の相対的な移動のしやすさを定める要件によつて決定されることも、技術上自明というべきである。そうすると、本願発明の特許請求の範囲の上記記載は、物体の剛性が低ければ物体は大きく変形し、高ければさほど変形しないという技術常識を念頭に置いて、本願発明が、締付けボルトの締付け力を受ければ、つばが僅かに変形する程度すなわち僅かに傾斜する程度に、その剛性を設定することを構成要件としていることを表わしたものとみることができる。その一方で、本願発明の特許請求の範囲には、接合部から外縁までの長さに占める締付けボルトの相対的位置、内輪及び外輪の接触面のテーパの大小、各部材のはめあい部の径等、偶力の発生方向を定めうる具体的な数値等は全く記載されていない。

以上を要するに、本願発明の特許請求の範囲には、つばの剛性の程度を表わす構成要件の記載はあるが、傾斜方向という概念を包含する記載又は本願発明が傾斜方向を構成要件としているとみるべき記載がないことが、明らかであるから、当業者の立場に立つて、前記特許請求の範囲として記載されたところを理解すれば、本願発明の構成は、つばの剛性が締付けボルト3、3の締付けによりつば11の各断面が僅かに傾斜状態となる程度のものであれば足り、つばの傾斜方向を問わないものであるといわなければならない。

このことは、原明細書の発明の詳細な説明の記載中前記二の4の効果の部分をみると、回転体固定状態における回転体Bのセンタリング効果を得るには、つばを内向きに傾斜させることが必須の条件とされておらず、ボス4と軸Aとの間につば11の断面の一部が締付けボルトの締付け力によつて強制的に押込められた状態となれば本願発明の目的が達成される旨が記載されていることとも符合する、というべきである。

ところで、《証拠略》によれば、引用例2記載の実験は、原明細書に開示された技術的手段(寸法表)をもとにして当業者としての技術常識を適用して行われたことが認められるから、引用例2記載の実験は、つばと内輪との接合部からつばまでの剛性を締付けボルトの締付けによりつばの各断面が僅かに傾斜状態となる程度に比較的低く設定するという点で本願発明の構成要件と同一の構成を具備したのみならず、本願発明の実施態様とみるべきその他の条件のすべてを具えた条件下で実験されたと推認することができる。

そして、引用例2には原明細書記載の変位とは反対の実験結果が記載されている(原明細書には後記四にいう内向きに傾斜するとされているのに、実験結果では同外向きに傾斜することが示されている。)ことは当事者間に争いがない。しかしながら、本願発明の要旨とする構成がつばの傾斜方向を問わない以上、そのことを理由に本願発明が発明として未完成であるとすることはできない。しかも、引用例2記載の実験によれば、締付けボルト3、3の締付けにより、つば11の各断面が僅かに傾斜状態になることが明らかとなつたのであるから、その実験は、寸法表に示されたとおりの数値を採用して、つば11と内輪1との接合部からつば11までの剛性を比較的低く設定した場合には、締付けボルト3、3の締付けによりつば11の各断面が僅かに傾斜状態になることを実証しているというべきである。

そうすると、特許請求の範囲記載の構成要件を要旨とする本願発明は、当業者が原明細書の記載に基いて反復実施可能であると認められるから、本願発明の要旨とする構成を「つば11の内周側がボス4内に僅かに入り込んだ状態」を現出するもののみを指すことを前提に、引用例2の記載に基づき、本願発明における回転体固定具は、発明として未完成である、とした審決の前記判断は、誤りである。

四  取消事由1について

《証拠略》と前記の当事者間に争いがない事実によれば、本件補正は、本願発明の特許請求の範囲の記載を直接補正するものではなく、原明細書の記載のうち前記二の3の作用に係る本願公報四欄二一行ないし二七行の鍵括弧内の記載を「つば(11)の断面は、軸(A)の軸線に対して直角な姿勢から僅かに傾斜した状態となる。小径段部(12)の直径とボス(4)の内径とのすきまは、極小さな値に設定されているから、前記つば(11)の各断面の傾斜によつて、小径段部(12)となる円周面の両端縁の一方は、ボス(4)の内周面に近接し最終的には全域的に対接することとなる。」(手続補正書二枚目九行ないし一六行)と訂正し、また、この訂正に対応し、原明細書において実施例として第6図に言及していた記載(本願公報七欄四行ないし九行)を訂正して「取付け方によつては、外輪(2)が回転体(B)に対して軸線方向外側(つば(11)側)に移動しないように取付けることも可能であり、この場合には、締付けボルト(3)、(3)の締付け状態において、つば(11)が外向きに傾斜することがある。(中略)このようにつば(11)が外向きに傾斜する場合には、(中略)つば(11)の外側面を中心側に向かつて凸のテーパ面(18)とし、このテーパ面の傾斜角度を締付け後のつば(11)の傾斜角度に合わせておけば、締付けボルト(3)、(3)を締付けた場合におけるボルト頭部の曲りも生じにくくなる。(後略)」(手続補正書二行ないし一九行)と改め、図面のうち第3図を別紙図面第二記載のとおり訂正するものであることが認められる。

したがつて、原明細書においては、発明の詳細な説明の項につば11の内周側がボス内に入り込んだ方向に傾斜する(以下において「内向きに傾斜する」というときは、この状態をいい、逆につば11の外周側が内周側よりボスの方向に傾斜する状態を「外向きに傾斜する」という。)との本件記載があり、第3図としてそれに対応する図が記載されていたところ、本件補正は、第3図を内向きに傾斜するものから外向きに傾斜するものに改め、発明の詳細な説明の項では外輪の取り付け方によつてはつばが内向きに傾斜することもあるとの表現に改めるもので、要するに、補正前の発明の詳細な説明には明記されていなかつた、つばが外向きに傾斜する場合を追加するものであつて「明瞭でない記載の釈明」(特許法六四条一項三号)を目的とする補正であることが、明らかにされている。

そして、前記三において判断したとおり、つばが内向きに傾斜し、又は外向きに傾斜するという事項が本願発明の特許請求の範囲に含まれない事項である以上、つばが外向きに傾斜するとの記載が原明細書になくても、本件補正により発明の詳細な説明中にこれを追記し、願書添付の図面第3図を内向きに傾斜するものから外向きに傾斜するものに改める補正をしたことにより特許請求の範囲に記載された技術的範囲の意味、内容が変化すると判断することは無理であり、したがつて本件補正が特許請求の範囲を実質的に拡張し、又は変更するものとはいうことはできない。

五  以上のとおり、本願発明が発明として未完成のものであつて、特許法二条一項の規定にいう「発明」とはいえないから、ひいては同法二九条一項柱書に規定する発明に該当しない趣旨でこれを拒絶すべきものとした審決の判断は誤りであり、また、本件補正が実質上特許請求の範囲を拡張するものであることを理由に本件補正を却下した補正却下決定も誤りである。

もつとも、前記のとおり、本願明細書には、つばの傾斜方向として内向き方向のものが記載され、本件補正後においても、内向き方向のものが含まれているところ、本件全証拠を精査しても、本願発明においてつばを内向きに傾斜させることができるといいうる理由及び内向きに傾斜させることができる条件を示す資料があるとは認められない。すなわち、甲第三号証及び第六号証を詳細に検討しても、外輪をどのように取り付ければよいかなど、つば11が内向きに傾斜するように本願発明を実施するための具体的態様を明らかにする記載がないし、そもそもなぜつばが内向きに傾斜する場合があるかの理由に触れた記載もなく、他にこれらの点を明らかにする証拠は全くない。したがつて、本件補正後においても、本願明細書の記載には不備な点があるというべき余地が十分にある。

しかしながら、前記検討の結果によれば、つばの傾斜方向は、本願発明の特許請求の範囲に含まれず、発明の作用に属するということができる。

ところで、発明の作用の記載が不備であれば、発明の技術的思想の正確な理解が妨げられるため、特許法三六条により明細書に記載すべき事項が不備であるとして特許を拒絶されることがありうることは、否定することができない。しかし、発明は、その技術内容が当該の技術分野における通常の知識を有する者(当業者)が反復実施して目的とする技術効果を挙げることができる程度にまで具体的、客観的なものとして構成されていなければならず、技術内容がその程度にまで構成されていないものは発明として未完成というべきである(最高裁第一小法廷昭和五二年一〇月一三日判決・民集三一巻六号八〇五頁参照)が、逆に発明が、その程度にまで構成されていれば、明細書の記載が不備であるかどうかにかかわらず、未完成ということはできない。したがつて、作用を正確に記述できていない場合においても、そのことだけを理由として産業上利用できる発明であることを否定して未完成発明であるとすることは、不当であるといわなければならない。

本願発明において、実験によつてつばが内向きに傾斜するとの記載が誤りであることが立証されたとしても、そのことは本願明細書記載の技術的手段と効果との因果関係の食違いという明細書記載上の不備が立証されたというに留まる。

そうすると、本件補正後の本願明細書に記載不備があると言える余地は十分残されているものの、本願発明を未完成ということは不当であるというべきである。

六  よつて、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田 稔 裁判官 成田喜達 裁判官 佐藤修市)

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